平田内蔵吉(1901-1945)の生涯については、壮神社から出版されている久米建寿先生の著作、『東洋医学の革命児 ~平田内蔵吉の生涯と思想・詩』に詳しい内容が綴られています。
ここに出てくる平田は、まさに異色の人物です。
詩人であり、体育研究家であり、科学史家であり、宗教的求道者であり、易占家――とは『東洋医学の~』に書かれている彼の様々な側面で、それぞれに独自の高い境地にあったことを示す資料が残っています。
しかし彼が生涯を通じて追求し、現在にもその名が残る成果は、東洋医学の療術でありその研究でした。
播州赤穂(兵庫県)の地の薬種商の家に生まれましたが、その優秀な頭脳により親族の期待を一身に背負い、鹿児島の第七高等学校の理科から京都帝国大学の医学部に進みます。
ところが彼はもともと哲学・思想・精神というものに強く惹かれるものを感じていたらしく、突然に哲学科に転籍してしまいました。
とはいえ科学に対する興味を完全に失ったわけではなく、そうして西田幾多郎や田辺元のもとで哲学を学ぶ一方で、当時の実験心理学の実習にも参加していたそうです。
この実験心理学で扱われる温点感覚検査器が、後の熱鍼療法の機器として用いられることとなりました。
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ここに出てくる平田は、まさに異色の人物です。
詩人であり、体育研究家であり、科学史家であり、宗教的求道者であり、易占家――とは『東洋医学の~』に書かれている彼の様々な側面で、それぞれに独自の高い境地にあったことを示す資料が残っています。
しかし彼が生涯を通じて追求し、現在にもその名が残る成果は、東洋医学の療術でありその研究でした。
播州赤穂(兵庫県)の地の薬種商の家に生まれましたが、その優秀な頭脳により親族の期待を一身に背負い、鹿児島の第七高等学校の理科から京都帝国大学の医学部に進みます。
ところが彼はもともと哲学・思想・精神というものに強く惹かれるものを感じていたらしく、突然に哲学科に転籍してしまいました。
とはいえ科学に対する興味を完全に失ったわけではなく、そうして西田幾多郎や田辺元のもとで哲学を学ぶ一方で、当時の実験心理学の実習にも参加していたそうです。
この実験心理学で扱われる温点感覚検査器が、後の熱鍼療法の機器として用いられることとなりました。
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