ヒーリング・アーツ/熱鍼法研究

かつて民間の療術として一大ブームを巻き起こすも、創始者の早すぎる死によって現在は一部のみに残り伝わった『平田式心療法』。これを『熱鍼法』という名のもと、様々な可能性の開花をもたらすヒーリングの術(アート)として研究・実践しています。

平田内蔵吉

平田式十二反応帯の発見まで (2)

 平田式心療法において、初期に発表された原稿ではヘッド氏帯等の先行研究を参考にした、脊髄神経による皮膚の知覚支配分布(デルマトーム図)を基準にした方向と区分が指示されていた、ということは前回述べました。

PC080708

 が、続いて刊行された資料、例えば昭和5年の末に発行された『心療図解』では、新たに東洋医学の経絡と経穴を刺激することが加えられています。

 過敏な反応が起こる部分に集中して施術するのが心療法(熱鍼法)の原則ですが、平田内蔵吉が施術を重ねていく中で反応がある部分を調査していくと、経絡・経穴と呼ばれるライン(線)やポイント(点)が、特に反応が起こりやすい部分として必然的に浮かび上がってきたようです。
 彼自身は、一時期はこれらは根拠のない古い迷信であるという考えに傾いたが実際の施術の中では逆にそれらの存在を認めざるをえなくなった、という事を後に述べています。

 心療法を興す少し前、内蔵吉は義母の胆石痛に効果を発揮した無痕灸(灸の痕が残らないタイプのお灸)の提唱者・加藤幾太郎の研究所で所員として参加していました。
 加藤氏は科学的な検証の中で灸の温熱効果に効果を認める一方、経絡・経穴は迷信として否定的な立場の人物でした。
 内蔵吉はその科学的態度に共鳴して当初は研究に参加していましたが、施術の中でしだいに経絡・経穴の存在を確認・確信するようになったため、結果的に独自の道を歩むことになったようです
 
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 私自身は鍼灸の徒ではありませんが、現在の私たちが実際に熱鍼法で刺激を行なう場合にも、体験的に経絡の存在を実感することがあります。
 例えば背部の施術であれば、下図の青矢印の方向に背骨から脇に向かって連続して刺激を行なっていると、強く反応する場所が背中の上下に線を引いたかのように同じ位置(赤い点の場所)にあらわれ、線の位置を確認すると、ちょうど経絡で「膀胱経」と呼ばれるラインと重なっていた、などということがしばしばあるのです。

point

 内蔵吉の著作の中では、経絡を「知覚過敏線」、経穴を「知覚過敏点」と表現している部分もあります。

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 昭和6年から全6巻の『民間治療法全集』の刊行が始まり、その年の内に怒涛の勢いで『第1巻 整体指圧温熱・水治療法全集』『第2巻 和漢洋自療薬・営養療法全集』『第3巻 経絡・経穴・刺激療法全集』『第4巻 治病強健術・熱鍼療法全集』が出されますが、これは自身の心療法を含めた当時の民間療法・東洋医学の総ざらえ的内容で、改めて経絡・経穴の重要性が説かれています。

 この経絡という人体に対する上下方向の縦の線に、突然、横の線・帯である「平田式十二反応帯」が加わるのは昭和7年、『弁証法教典』の出版による発表からになります。




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無料公開されているWEB資料について

 現在「平田式十二反応帯」について続稿をまとめております。

 時系列や言及箇所の参照のためにいくつもの資料をとっかえひっかえしているのですが、気付けば手元の資料がかなりの数になり、どの資料のどこに自分が今探している該当部分があるのかを探すのに毎回ひと苦労、という有様です。

 古い資料ですので古書としてそれなりの価格となっており、出回っている数自体も多くなく、ちょっと興味をもった程度の方が気軽に買って読んでみようというわけにはいきません。 
 しかし現代は便利な時代になったもので、国立国会図書館が著作権の切れた一部の書籍に関しては、PCで誰でも無料で読めるデジタルデータとして公開しています。
※近代デジタルライブラリー 
(著者名やタイトル、キーワードで検索ができます)

 そこで平田内蔵吉の療術や体育に関する著作の一部、
 『民間治療法全集. 第1巻 (整体指圧温熱・水治療法全集)
 『民間治療法全集. 第2巻 (和漢洋自療薬・営養療法全集) 
 『心療医典
 『平田式療術医典. 方法篇
 『安臥法
 『軍隊体育の研究
 といったものを読むことができます。

 ちょっと変わったところでは平田内蔵吉の詩集、『美はしの苑 』もあります。
 大変ありがたいことです。



 が、「できれば『民間治療法全集』は全6巻すべて公開して欲しかった……」「背表紙が割れていて開くとどんどん本が真っ二つに裂けてくるので、『弁証法教典』のスキャンデータを公開してくれていれば……」などと、つい思ってしまったりもする日々なのです。

 さて、 今後は平田氏帯の続きと平田内蔵吉による経絡・経穴の取り扱い、そして彼の創出したいくつもの「経絡体操」について触れていく予定です。


 
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平田式十二反応帯の発見まで (1)

 現在にもその名の残る平田氏帯平田式十二反応帯は、その名の通り平田内蔵吉が定めたものです。

 平田内蔵吉以前にも、内臓器官に不具合が生じた時に体の皮膚が赤くなったり痒くなったり知覚過敏が起こることを発表した「ヘッド氏帯(Head's zone)」の情報は我が国にも伝わって知られていました。
 また、東洋医学における経穴(ツボ)・経絡との関係も知られていました。

 どちらについても内蔵吉は研究し、あるいは有名な療術師を訪ね、あるいはそれぞれの効果を確認していたようです。

 一方、延べ数千人という数多くの施術経験を重ねていく中で、それら伝えられている場所以外にも過敏な反応が起こることにも着目していました。

 対応部位とともに刺激部位や刺激方向に関しても、さまざまな試行や変遷があったことは発表された書籍などからうかがい知ることができます。
 昭和5年の段階で、7月に刊行されベストセラーとなる『平田式心療法 ~熱鍼快癒術』や、それに先立つ3月に研究会の会員向けテキストとして刊行されていた『平田式心理療法』(心療専門学院)では、ヘッド氏帯の図や皮膚知覚帯(デルマトーム)と呼ばれる脊髄神経による皮膚知覚支配分布にのっとった刺激を行なっていた様子が見られます。


 『平田式心療法 ~熱鍼快癒術』の刊行時の図譜。
 皮膚知覚帯が基準になっていた。
※参考 医学用語集めでぃっく 「デルマトーム」の項

PC080710

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 テキスト『平田式心理療法』(心療専門学院)内に掲載されていた対応部位の図。
※海外サイトのヘッド氏帯の説明当時発表されていた図
PC080725




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『平田式心療法』発刊後

 先日、平田氏帯が世にあらわれた最初の出版物であるために昭和7年(1932年)出版の『弁証法教典』を入手した、という記事を書きましたが、平田内蔵吉自身が平田氏帯について触れた本で現在も手に入れることができるものとして、たにぐち書店の『平田式心療法 -熱鍼快癒術-』があります。
 これは昭和12年(1937年)の最終改訂版から復刻されたものであり、改訂後に挿入された平田氏帯についての情報を読むことができます。




 さて、『平田式心療法 -熱鍼快癒術-』の出版によって世間に知られ、その分かりやすく効果的な内容によって評判の書となりましたが 、あまりに大きな反響だったため、平田内蔵吉は在学している大学当局より注意を受けることとなります。

 大学側は注意喚起するにとどめたようですが、平田内蔵吉の方で大学を退学してしまいました。
 ほとんど卒業直前であったといわれています。

 現在でも医師というのは社会的に高いステータスを持ち、大学医学部への入学というのは成績も学費も高いために難関とされていますが、当時の医師の地位というのはそれ以上のものがあります。
 当然、平田内蔵吉にも親族や周囲の大きな期待があったと思われますが、彼はその社会的エリートコースである西洋医学の道から外れ、民間の一療術家として自らの研究成果とともに突き進んでいくことを選びました。

 もっとも、平田内蔵吉はその時点で29歳。
 現代の大学1・2年にあたる戦前の旧制高等学校を21歳で卒業した後、同じく現在の大学の3・4年と大学院にあたる旧制大学を卒業した後また別の大学に入学、在学しつつも哲学思想に関する著書の出版や鍼灸・温熱療法の研究所に所属し研究と追求にまい進……という日々を送っていたようですから、もはや在学中から西洋医として身を立てることは考えておらず、大学当局からの注意は本人にとってちょうど良いきっかけであったのかもしれません。
 

 昭和初期までの日本での西洋医学と東洋医学(あるいは民間療法)のそれぞれの立場を見ると、明治になってからは西洋医学こそが最先端の優れた医学であり、それを学んだ者こそが立派な医者であるとされてきていました。
 ところが、ひと通り西洋医学が日本に広まり常識的なものとして定着した後、大正から昭和にかけて、一部では改めて民間の療術・東洋の医学を見直す動きが生じています。
 西洋科学的視点を得た上で、これまで日本に伝わっていたものを見直すという意識が生まれたこともありますし、その広まり・認められている西洋医学でも回復しなかった人々が次に頼るものとしての民間療法・療術の必要性が生まれたこともあります。
 平田内蔵吉が「心療法」を提唱した時期は、ずっと西洋からの技術や文化を一方的に受け入れ続けてきた流れが一段落し、日本オリジナルの、自分たちの医学・体育・健康を見つめなおす時代に突入していました。

 現在まで続く日本の健康ブームの最初の大きな流れも、大正から昭和初期にかけて起こっています。
 平田内蔵吉が大いに影響を受けたという静坐法の岡田虎二郎、肥田式強健術の肥田春充といった人々の民間健康法も大正期以降にブームになったものです。
 こういった”健康法”に多くの人びとが惹きつけられた理由として、病気未満/病気ではないが健康でもないという多くの人々の、強健にあこがれる心や、体と同時に心の健康をも求める心が存在したことがあったと思われます。
 急激な近代化の中で、現代の私たちが「いやし」「ヒーリング」と呼ぶものをもっと強く積極的に求める流れがあったのではないでしょうか?


 平田内蔵吉の「心療法」がブームとなった一因として、分かりやすく簡単で効果的であるということはもちろんありますが、その一方で平田内蔵吉自身が哲学・宗教に強い興味を持ち研究していた求道者的な人物であり、心と体の健康を強く打ち出していたということも魅力として映ったようです。




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弁証法教典

 かなり難解な内容らしいということはさんざん伝え聞いていたので迷ったのですが、この書によって初めて平田氏帯(平田式十二反応帯)が著された、ということで避けては通れまい、と手に入れることにしました。

弁証法教典1

 
 ……が、タイトルにある「弁証法」について書かれたものであるかと思いきや、新たな弁証法という名前でまさかこんなに直球で占いなどで扱われる「易」について長々と 解説してあるとは……。
※Wikipedia内「易経」の項目

弁証法教典2


 前半部分で「正正正正正正」「正正正正正反」という「正」と「反」という文字がびっしりと埋め尽くしているのは易の「―」と「--」の組み合わせで、「Ken Ken(乾為天)」や「Ken Xun(天風[女后])」などという卦を全部扱っているのを目にした時は、さすがに「えらいものを買ってしまった……」と思ってしまったのですが。。。。

 平田内蔵吉なりの「弁証法」としてわざわざ難しくしているのではないかと思えるような解説のし直しがされており、普通に易占の本をそのまま読むよりもはるかに面倒、という目に遭わされました。
 しかし、読んでいく内にその理論自体ではなく、「平田内蔵吉という人物の発想や物事の捉え方」のようなものが感じられてきたのは収穫だったでしょうか。


 こちらが本来の購入の目的だった平田氏帯の部分。
 現在内容を消化中。

弁証法教典3


弁証法教典4

 
 読んでいく中で感じた事については、個人の感想としてこちらで書いていきたいと思っています。

 
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平田内蔵吉について(2)

 哲学科に転籍した平田内蔵吉はその時には結婚していましたが、当時自分の義母にあたる妻の母親が胆石痛で苦しんでいました。
 医師の治療を受けたのですがなかなか回復せず、最終的に当時民間療法として普及していた「加藤式無痕灸」を薦められ試みた所、 二週間ほどで痛みがとれてしまいます。

 驚いた平田は、その後は実験心理学で使われた温点検査器と同じ形の機器を自作して検証を始め、義母の胆石痛の再発のたびにその効果を確認してゆくこととなります。当初は平田自身を含めて半信半疑で施術を執り行なっていたということなのですが、繰り返し示される結果に、その大きな可能性への確信を深めてゆきます。

 もともと彼は、中学時代(現代の学制で高等学校にあたる)から様々な健康法・強健術・精神療法に興味を持っており、精神と肉体の深い関連性とその統合を希求する気持ちの強かったようです。
 その想いの深さゆえに医学から哲学へと専門の興味を移しましたが、この出来事から俄然、医学への興味と情熱を取り戻し、京大の哲学科を卒業後、再び医学を学ぶために京都府立医科大学に入りなおすという行動に出ます。

 医大において西洋学を学ぶ一方、東洋医学の研究を深めていくことになりますが、その結果、昭和5年に彼の提唱する「心療法」が雑誌で発表され、ついで『平田式心療法 ―熱鍼快癒術』が発刊されたことで一躍世間にその名を知られることになりました。

 出版された『平田式心療法 ―熱鍼快癒術』。箱入り本。
 熱鍼法3

































 箱の中には書籍と一緒に付録として施術用の「心療器」が入っており、購入した者は実際に自分で施術することができました。
熱鍼法2


 

















 ここにあるものには心療器本体は入ってはいませんが、図のような形状をして施術するものだったようです。鉄製で、筒の中にアルコールを染み込ませた石綿を詰めて火を点け、器具が充分熱せられた所で火を消して患部を刺激していく、という使い方が書かれています。

平田内蔵吉について

 平田内蔵吉(1901-1945)の生涯については、壮神社から出版されている久米建寿先生の著作、『東洋医学の革命児 ~平田内蔵吉の生涯と思想・詩』に詳しい内容が綴られています。

 東洋医学の~
 ここに出てくる平田は、まさに異色の人物です。

 詩人であり、体育研究家であり、科学史家であり、宗教的求道者であり、易占家――とは『東洋医学の~』に書かれている彼の様々な側面で、それぞれに独自の高い境地にあったことを示す資料が残っています。
 しかし彼が生涯を通じて追求し、現在にもその名が残る成果は、東洋医学の療術でありその研究でした。

 播州赤穂(兵庫県)の地の薬種商の家に生まれましたが、その優秀な頭脳により親族の期待を一身に背負い、鹿児島の第七高等学校の理科から京都帝国大学の医学部に進みます。
 ところが彼はもともと哲学・思想・精神というものに強く惹かれるものを感じていたらしく、突然に哲学科に転籍してしまいました。

 とはいえ科学に対する興味を完全に失ったわけではなく、そうして西田幾多郎や田辺元のもとで哲学を学ぶ一方で、当時の実験心理学の実習にも参加していたそうです。
 この実験心理学で扱われる温点感覚検査器が、後の熱鍼療法の機器として用いられることとなりました。



 


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