哲学科に転籍した平田内蔵吉はその時には結婚していましたが、当時自分の義母にあたる妻の母親が胆石痛で苦しんでいました。
 医師の治療を受けたのですがなかなか回復せず、最終的に当時民間療法として普及していた「加藤式無痕灸」を薦められ試みた所、 二週間ほどで痛みがとれてしまいます。

 驚いた平田は、その後は実験心理学で使われた温点検査器と同じ形の機器を自作して検証を始め、義母の胆石痛の再発のたびにその効果を確認してゆくこととなります。当初は平田自身を含めて半信半疑で施術を執り行なっていたということなのですが、繰り返し示される結果に、その大きな可能性への確信を深めてゆきます。

 もともと彼は、中学時代(現代の学制で高等学校にあたる)から様々な健康法・強健術・精神療法に興味を持っており、精神と肉体の深い関連性とその統合を希求する気持ちの強かったようです。
 その想いの深さゆえに医学から哲学へと専門の興味を移しましたが、この出来事から俄然、医学への興味と情熱を取り戻し、京大の哲学科を卒業後、再び医学を学ぶために京都府立医科大学に入りなおすという行動に出ます。

 医大において西洋学を学ぶ一方、東洋医学の研究を深めていくことになりますが、その結果、昭和5年に彼の提唱する「心療法」が雑誌で発表され、ついで『平田式心療法 ―熱鍼快癒術』が発刊されたことで一躍世間にその名を知られることになりました。

 出版された『平田式心療法 ―熱鍼快癒術』。箱入り本。
 熱鍼法3

































 箱の中には書籍と一緒に付録として施術用の「心療器」が入っており、購入した者は実際に自分で施術することができました。
熱鍼法2


 

















 ここにあるものには心療器本体は入ってはいませんが、図のような形状をして施術するものだったようです。鉄製で、筒の中にアルコールを染み込ませた石綿を詰めて火を点け、器具が充分熱せられた所で火を消して患部を刺激していく、という使い方が書かれています。